AIとどう付き合っていくべきかをちょっと考えてみた

ChatGPT

代表理事の本田です。

IT系の雑誌やネット記事だけではなく、普通の雑誌やニュースなどでもChatGPTというワードを目にするようになってきました。
実際に使ってみると、まだちょっとおかしな受け答えはありますが、今までも一般的に使われていたGoogle AssistantやSiriに比べて、圧倒的に自然なやり取りになっています。
今後、学習が進めば知識自体はより正確になるでしょうし、検索エンジン的な使い方ではなく、こちらから情報を与えて、それを要約させたりポイントを整理させたりという使い方については、人間の能力を軽く超えていると言っても良いでしょう。

ChatGPTは言葉・文章を取り扱うのに使われていますが(GPT4では画像の認識などもできるようです)、その他に最近良く耳にするようになっているAIとしては、Stable DiffusionやMidjourneyといった画像生成AIなどがあります。
どちらも与えられたテキストからイメージされる画像を生成するAIです。

ChatGPTやMidjourneyは生成AI(Generative AI)と呼ばれるタイプのAIで、0からアウトプットを生成してくれる機能を持っています。

これまで、コンピュータは「決められたことを決められた手順で実施する」場合には非常に高いパフォーマンスを発揮するが、創造的な分野での力は弱いというイメージを持たれていました。

人工知能の歴史にはこれまで何度かのブームがあったのですが、1980年代からの第2次AIブームで」注目されたエキスパート・システムが限界を迎えたのは、上記の通り決められたことを決められた手順で実施するというルールが膨大になったこと、また曖昧なルールに対する判断が困難だったことに起因します。

その後、第3次AIブームを経て今に至るわけですが、キーワードとして重要になるのが「ディープラーニング」です。
これは人間の神経細胞の働きを模したニューラルネットワークがベースとなっているのですが、それ自体、実はフランク・ローゼンブラットという計算機学者が1957年に考案・発表したパーセプトロンというモデルが基礎になっています。
(余談ですが、私は大学~大学院までニューラルネットワークの研究をしていたのですが、そちらに興味を持ったのが高校生のときに読んだパーセプトロンの話からでした)

現在のインターネットというインフラとコンピュータ自体の高速化、大容量化に支えられていますが、実は今、世間を賑わせている生成型AIの基本的なアイディアはENIACという初のコンピュータが1946年に作られてからわずか10年程度で出来上がっていたということです。
(もちろん、機械式計算機はそれ以前にもありましたし、計算機科学といえる分野はもっと前からありましたが…)

さて、話を戻すと、コンピュータはなにか決められたルールに基づいて計算したり、判断したりするということは得意だったのですが、曖昧な判断は苦手だったという初期の段階から、第3次AIブームで注目されたニューラルネットワークやファジイ理論により、だんだん曖昧な処理に使われるようになり、いよいよ今の時代、クリエイティブな段階まで進んできたということが言えます。
(どんな感じで曖昧な判断をするようになったかは色々な本が出ていますが、誤解を恐れず言えば、アーサー・C・クラークの語った「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」ということでしょう)

今後、コンピュータがクリエイティブな能力を持ち、更に自然言語処理の能力が高まると、今までとは全く違った使い方になることが容易に想像できます。
全てのホワイトカラーの仕事に影響があると言われていますが、例えば

  • 作成物に対する著作権を始めとした知的財産権はどうすべきか?
  • AIの学習データとして使われる可能性のあるデータのセキュリティはどうなのか?
  • そもそもAIに仕事を奪われないのか?

などなど…。

恐らく、過渡期には様々な混乱が起こるだろうと想像できます。
それがこれまでの変化と同様のものなのか、全く質が異なるものなのかというのは何とも言えませんが、個人的には技術の歴史というのは後戻りはできないという意見です。

問題はそこに社会的ルールが、もっと言えば意識がついていけるかどうかというところで、特に強いAIのような強力なツールが出てきた場合、それに対する意識改革を早急に行っていかないと今まで以上に格差が生まれる可能性もあるのかなと考えています。

今、ChatGPTが大学のレポートに利用されることが懸念されるとか、小学生の宿題に使われるとかいうことも話題になったりしています。
これも本当は「何を評価するのか」という本質的なところから考え直さなければならないことであって、新入社員に任された仕事をExcelマクロを組んであっという間に終わらせたらベテラン社員に叱られたなどという笑い話と同じであるということを認識する必要があります。
今後、「AIが使える社会になる」という前提のもと、そこで求められるスキルは何なのか?
何を道具として使い、最良のアウトプットを生み出していくのか?

実はこれは、DX(デジタル・トランスフォーメーション)の本質なのではないかと考えています。
要するに、今までの仕事の仕方、評価の仕方、組織のあり方を一旦、横に置いておいて、現在の(場合によっては今後出てくることが想定される)技術やインフラ、社会の変化の利活用を前提とした新たな仕事、組織、社会のあり方を考え直し、変化を起こしていくということが求められるのではないかと思います。

今、世の中で起こりつつあるAによる変化もその一つであり、今後、AIに何ができるか、どう付き合っていくかということはITの専門家だけではなく、社会に生きる一員としてしっかりと考えていかなければならないことではないでしょうか。

ChatGPT